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2008年度第6回政治社会勉強会 part 2
2008年度第6回政治社会勉強会 part 2
2008年11月1日(土曜日)
「公共圏」への関わり方の考察:降幡博亮
稲葉の「公共性」の議論を基に、彼の考え方を生かした上で、日本の公共圏にあり方について試考を加えてみたいと思う。
稲葉にとって公共性とは「「社会システム」と「生活世界」の分離が自覚された上での、その克服―現実的な克服というよりは、克服という課題が理念として確立されること、その上でその理念が単なる空虚なお題目にとどまらず、現実に人々の生を導くものになっていること…」もしくは、その状況、様態を示す言葉として使用されていた。そして公共圏とは「この「公共性」の理念、感覚が共有されている人々からなる社会領域・・・」もしくは人工的に環境がアレンジされたメディア空間。公共性についてのコミュニケーションの領域として定義されていた。つまり、人々から自律していく社会システムと、人々が生活している生活世界の間の差異・問題を考えそして埋める空間として公共圏というものが機能すると考えられるのである。
この議論を参考にした上で、稲葉は、そのような公共圏を確立するために、いかにして、公共な事柄に消極的な人々が積極的に関わることができるようになるのかという問題を提示していた。
しかし、私は、稲葉の言うような公共性を意識して活動する「積極的な」人々と、関与することを忌避する「消極的な」人々、という2分法はとらない。たった一人で生きている人(他者への関与を忌避しながらも生きていけるひと)はいないし、複数名で行う興味本位の活動が公共性(人々の生き方を導くもの)に影響を与えることもあるからだ(例、「おたく」ムーブメントの始まり)。
ただ、その一方で公共圏への関与の仕方としての「積極的」「消極的」というのはありうるのではないか。「公共性」を意識して積極的に発言・行為を行う「公共圏への積極的関与」と「公共性」を意識しないものの他者も見る/聞くことができる形で発言・行為を行う「消極的関与」というあり方の両方があるはずだ。そのような前提を基に日本社会における社会システムへの積極的、そして消極的な人々の関与、公共圏というものを考えてみたい。
1945年から1970年代は日本の高度成長システムの成長期と考えられるが、そこには確かに人々が積極的な関与をしており、それは労働運動や学生運動として現れてきた。そこでは、システム経営における権力を闘争するという役目をもっていた。その一方で人々のシステムに対する消極的な関与として戦後復興という人々の意識があったであろう。そのような意識は問題こそあれ戦後の経済は発展は正しいという社会システムへの正当性を与える役目をになったはずだ。
1970年から95年は、高度成長システムの安定期と考えられるが、このような安定したシステムに対して人々の積極的関与は、消費者運動や個別マイノリティ運動の形態をとり、安定したシステムに対して批判や修正を要求するインパクトを持った。その一方で消極的な人々の関わりは、安定した経済成長の恩恵を受けた人々の消費行動として現れてきたであろう。そのような消費行動は積極的にシステムに対する満足感を表現しシステムの維持に正当性を与えたのであった。
そして1995年から現在至るまでのピリオドはシステムの停滞期と考えられるだろう。ここでの積極的な人々のシステムへのかかわりは、環境運動やマイノリティ間の連帯運動などの形式をとり問題毎に人々がシステムへの意義申し立てをし、システム自体を積極的に再構築する役目を担い始めてきていると考えられる。消極的な人々のシステムへのかかわりにおいてもエコライフやオタクムーブメントなどシステム内部において興味ベース関係性を形成することにおいて、システム自体の新たな使用というシステム自体の維持に貢献していると考えられるであろう。
以上の考察から、今も昔も人々は積極的にも消極的にも公共圏というものを形成しそして社会システムにインパクトを与え続けているということがいえるのではないだろうか。
参考文献
東浩紀『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』講談社現代新書, 2001.
稲葉振一郎『「公共性」論』NTT出版, 2008.
大澤真幸『不可能性の時代』岩波新書, 2008.
北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』NHKブックス, 2005.
宮台真司『まぼろしの郊外――成熟社会を生きる若者たちの行方』朝日新聞, 1997.
質疑応答
Q.議論の空間性を考えた時に国民国家というものを前提にシステム対人々という図式を構成しているのではないだろうか。それはシステム内部の企業や家庭、人々内部の多様な動きを還元する役割を持っているのではないだろうか?
Q.システム自体が日本の高度経済システムということが前提になっているように感じられるが、企業のダイナミクスを見た時に安定期、成長期、停滞期という理解とは別に一貫して成長を続けているのではないだろうか。そしてその成長の論理自体も一貫してシステムというもので括られるわけではなく、その内部の論理自体もダイナミックに変化しているのではないだろうか? そう考えるならば、システムへの人々の積極的・消極的関与とされる、内容、アクター自体も再考されるはずではないだろうか?
Q.様々な疑問があるが、第一に公共圏の範囲はどこまでと想定できるのか、それは全体が公共圏なのか、いくつか部分が公共圏なのか、それとも多様ないくつかの部分が公共圏なのか?
A. The Public Sphereという考え方、the Publicという考え、そしてPublic Spheresという考え自体がそれぞれの公共圏の範囲の議論に対応していると考えられる。今回はそれぞれ三つの要素を組み合わせた感じでプレゼンをした。
Q.公共圏のあり方としてシステムへの関与を意味した場合、それは主体やコミュニケーションのあり方によっても変わってくるのではないか?
A. 確かに主体やコミュニケーションなどの関わりのあり方によってそれは違ってくるかもしれないが、その一方でそのような関わりのあり方自体を確実に区別することも困難であろう。
Q. やはり何をみたいために公共圏の議論をみるのかを明確にする必要があるのではないか?
議論
今まで考えてきた公共圏の議論をどのように活かして、発展させていけるだろうか?
1. 公共圏義議論の重要性はどこにあるのか?:1.社会を解釈する場でありうる、自分を見つめなおす場でもありうる、そして他者と交わるまでもありうる点、2.社会の中で変化を根源的な起こす場である点 3.自分が生きている場を自分で改めて理解することができる場である点 4.近代の文脈で自分がどう生きるのかを考えられる場、そしてそれを通して他者と社会をどう作っていけるのかを解釈を考える場、その結果として社会のあり方を変化させる場→公共圏の重要さ:自己解釈の場、他者解釈の場、社会解釈の場、そしてそれを通じて社会を変化させる可能性のある場 (問題意識)
2. 自己解釈の場、他者解釈の場、社会解釈の場(そこにおける社会変化は)どこで見ることができるのか?→知識生産の場(すべての要素は知識を生み出すことに関係しておりそのことを通して社会変化を導くという点から) (Topic)
3. ではそのような自己解釈、他者解釈、社会解釈を行う場として理解される知識、「公共圏」(公共性)がどのように、知識生産として作られ、使われているのか? →これを通して現在における、自己解釈、他者解釈、社会解釈の意味を明確にする (事例)
次回の課題:日本の文脈で公共圏・公共性という議論は、いつから語られ、誰に語られ、どのように使われているのか?
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