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2008年度第6回政治社会勉強会 part 1
2008年度第6回勉強会 part 1
2008年度11月1日(土曜日)
日本における市民的公共圏の議論:発表者 中野瑞紀
日本における公共圏がどのように議論されているのかを知るために、長崎励朗「現代日本と幻影の公共圏」『京都大学生涯教育学・図書館情報学研究』2008年3月、増田和也ほか「現代の公共圏とコミュニケーションをめぐる-考察-「菜の花プロジェクトを例に-」『同志社政策科学研究』2007年8月、江口厚仁ほか「【シンポジウム】市民的公共性/公共圏のゆくえ」『九州大学法政研究』2007年12月をもとに議論をまとめてみた。
長崎他は現在の「市民的公共圏」というものが有効性を失っていることを、「理性的討議」の不可能性、「開放性」「公益性」「平等性」という二つの公共圏の条件が成立していないことを論拠に議論している。前者の理性的な討議が現実に実行された場合、時間的な制約のもとにおける合意の困難、意見の言い合いに終ってしまう危険性が絶えず潜んでいる。後者の公共圏の三つの条件に際しても、開放性に対して、自発的に参加しない人々の存在や、公益性・平等性に対しても格差や根源的な平等性の確立は困難であると議論される。長崎は以上のような結論から、コミュニケーションの増加よりもコミュニケーションを行うことはどんなことであるのかという問いこそが問われるべきであると結論づけていた。
増田他は、ハーバマスの議論に基づき、公共圏の前提を対象性、公開性、柔軟性と定義し、多様なアクターによるコミュニケーションに基づく社会の構造転換こそが公共圏の役割であるとしている。その上で彼らが主張する「菜の花プロジェクト」は公共圏の可能性があるということを議論していた。
江口他の【シンポジウム】では、公共圏の議論が前提にしていた、公的領域、私的領域の区別、公私の区別の難しさを論拠に現在の市民的公共性、そして公共圏を語ることの難しさについて議論していた。その上で、そのような公共圏の困難を乗り越えるために、他者とのコミュニケーションのあり方そして、他者へのコミットメントのあり方を改めて問われなければならないということが主張されていたのだ。
質疑応答
Q.どの論文も問題意識がなにのではないか?これらの議論は公共圏のための公共圏を議論しているのではないだろうか?
A.確かに自分達のみたいもの、言いたいものを言うために公共圏が使われているではないだろうか?
Q. 稲葉の議論を読んでいても思ったことだが、どの視点から公共圏を考えるのかということが重要ではないだろうか?公共圏を俯瞰してみる方法と、公共圏を使って議論を組み立てることはまた別種のことであろう。
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