2008年度第8回政治社会勉強会 12月13日
12月 18th, 20082008年度第8回政治社会勉強会12月13日土曜日
議事録
1.公共圏/公共性議論の系譜 降幡 博亮
公共圏という言葉の概念的な根拠はハーバマスとアレントであるが、翻訳本として新たに出てくるのが1990年代であった。このような90年代の流れは東欧革命などの下からの革命、市民社会の社会運動というものに注目が集まったという点にあるのではないだろうか。
その中で90年代に花田達郎がメディアの文脈でハーバマスを紹介し始めた。彼が公共性を公共圏として訳すことにより広まって言ったのが現在の公共圏の原初だろう。その後90年代後半から、そのような公共圏を使い日本の保守派の論客達によって使われ始めたのだ。彼らの主張は国家の「公」が「私」に侵食されてしまったという文脈で語られるようになるのだ。
2000年代に入って、公共圏の議論が急に拡大しているのであった。斉藤純一の『公共性』(ネオナショナリズム批判を目的としている。)が出版される一方で、小渕政権によって出された「21世紀日本の構想」の中でも、自律された「個」による「公」というもの創出が主張されたのだ。佐々木毅、河合隼雄などがそれに携わったといわれている。これの後者の流れは確実に政策的課題として、「公共性」というものが議論されるようになってきたのである。その流れの上で『社会学評論』は日本における「公」の創出の可能性という議論を始めているのだ。中心的人物としては、橋爪大三郎などが挙げられるだろう。一方では市民社会論的な排除された複数性を公に取り込むのかという議論がある一方で、統治としての公共性の議論が出てきたのがこの2000年代の議論と考えられるであろう。そしてこの統治の面を裏付けているのが、かつてあった日本人論の日本の特殊性から公を導き出すということに結論が向かっている。
2001年の『思想』の特集は前者の市民社会論的流れが特集を組み複数性の政治や親密圏などの議論を行った。その一方で政策としての議論も今田高俊などによって行われた。
2002年になると市民社会論の流れから対抗的公共圏の議論などが出された
2004年では『NIRA』から政策課題として公共圏の重要性を議論している。
2005年では『現代思想』が再び市民社会の流れから、ネオリベラリズムに対する公共圏の議論がなされた。
2006年になると『学術の動向』では、また政策の側からの公共圏の重要性が、日本の統治をどのようにしていくのかという議論がなされたというのが挙げられる。
以上をまとめると、日本の中の公共性・公共圏の議論というものは、公共圏という議論をアリーナにして、日本のローカルコンテクストの政治経済の議論が行われていると考えられるのではないだろうか。それは市民社会側で公共圏の議論を使い自分達の権利を擁護していこうという立場と政策として公を作っていくのかという二つの立場の議論として理解してよいだろう。
2.公共圏の議論を巡る動向 石綿 寛 (レジュメから)
公共圏の議論の動向
NACSISおよび日外雑誌検索にみる公共圏の議論の動向
本
冊数 1990-1995 1995-1999 2000-2005 2006-2008
合計 0 4 21 15
内容分類 メディア 哲学/思想 政策 その他
1996-1999 2 3 0 0
2000-2005 4 7 4 7
2006-2008 1 9 4 4
論文
論文数 1990-1995 1996-1999 2000-2005 2006-2008
合計 10 23 202 78
内容分類 メディア 哲学/思想 政策 その他
1990-1995 5 5 0 0
1996-1999 5 12 5 5
2000-2005 34 120 73 60
2006-2008 8 52 25 24
公共圏論文から見る主要な議論の場
主要人物: 船橋晴俊、鬼丸正明、平地秀哉、木原活信、遠藤薫、酒井隆史、木原利秋、干川剛史、三島憲一、本秀紀、渋谷望、吉田純、花田達郎
主要雑誌: 法政研究(74:3 2007)、Asia Japan Journal (3 2007)、法の科学(37 2006)、現代思想(33:5 2005; 30:6 2002; 28:3 2000)、社会学年報(34 2005; 32 2003)、立命館国際地域研究(22 2004.3)、社会思想史研究(28 2004)、市民的公共圏形成の可能性(森英樹 2003)、思想(925 2001; 907 2000)、
分類別公共圏論文の議論の動向
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津田正夫「<市民メディア>による新たな公共圏の可能性~「市民メディア全国交流集会06 in 横浜」によせて~」『メディアと文化』3 2007年3月 pp. 129-139.
メディアに分類
要旨:近年高まる市民メディアの概観しその意義を議論した上で、2006年で横浜で開かれたシンポジウムを総括する。主張としては、メディアとは人々の意見を排出する、重要なツールであり、その形態は開かれたものであるべきとする。それは、新たな参加者である市民メディアにもオープンな制度であるべきであり、また既得権益の事業者やNHKもまたそのような中立で開かれた放送を心掛けなければならない。
公共圏の理解:開かれた情報を伝達する手段、及びその場(開かれた意見、参加者およびそれを通じた意見の伝達)
クロスレファレンス:花田達郎 ハーバマス
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土佐昌樹「公共圏の概念からみるアジア文化」『Asia Japan Journal』2 2006年 pp. 77-91.
哲学・思想に分類
要旨:ハーバマス公共圏の概念を参照にしつつ、彼の公共圏の文化的基盤を議論し、それがアジアという場でも異なった形態をとりつつも存在することを議論する。西洋の公共圏の議論が自由で身分の差異から区別されたコミュニケーションの場を想定していることに対して、言論弾圧の進むミャンマーや弾圧されていた韓国、および従来は無視されてきた消費文化の中にも公共圏の可能性があることを議論する。
公共圏の理解:オープンで自由なコミュニケーションの空間、それを通じた、社会の変化についても言及
クロスレファレンス:ハーバマス
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江口厚仁「公共性論の現在-本分科会の企画趣旨について」『法政研究』74:3 2007年12月 pp. 593-608.
哲学・思想と政策に分類
要旨:現在増加している公共性論、公共圏論を背景にその概念整理を試みるとともに、現在の状況に合わせた、公共性論・公共圏論の解釈の必要性、そしてそこにおける法の役割を明確にすることを試みる。江口によれば現在、公共圏として議論されるものは一つの危機に陥っている、そこでは、従来の公/私という分割自体が説得力を帯びないものになってきている(e.g. 私的サークルのコミュニケーションと電車の私的行為)。そのような中でいかにして従来の公的/私的とされる場、議論自体を公的なもの(共)に包括、判別していくかの可能性について議論している。そしてそのような新たな公的なものに根拠を与えるものこそ法であると江口はしている。
公共圏の理解:開かれたコミュニケーションおよび議論の場、そしてそれを保障する仕組み
クロスレファレンス:斉藤純一、大沢真幸、アレント、フレイザー、『公共哲学』(東京大学出版)、思想(907、924、925、983号)、現代思想(30:5、33:5、)、『<公私>の再構成』(日本法哲学会編)、『早稲田政治経済学雑誌』(357 2004年)、『現代における私法・公法の<協働>』
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以上の三つの論文から言えることは、公共圏が「開かれたコミュニケーションの場」としての共通認識があることだ。この意味を考えていくことが重要なのではないだろうか。
3.議論
スペースとして公共圏・公共性の議論とクオリティの公共圏・公共性の話を分ける必要がであろう。クオリティとしての公共圏がどうなっているのかを整理しない限り、相手の議論に飲まれてしまうのではないだろうか。
議論を深めていく際に、上記してある議論であった、市民社会論として公共圏論と政策として議論する公共圏論の議論と前提となっている部分を批判することが重要ではないだろうか。
公共圏を巡る議論を通じて感じることは、公共圏を巡る議論というよりは、その背景にある、アカデミックの立場のぶつかる点としてこの議論があることを感じた。
人が好きなように公共圏の議論を使っているのを感じる。
自分がフォーカスしたいポイントが2000年以降の議論で、「個」が作られていく「公」、バラバラになった個人がどうやって参加していけるのか、ということに興味を持った。これからどう進めていくのか点に関して、市民社会論的に公共圏を使う人と政策的に公共圏を使う人の二つの立場を明確にすることで、自分が理想とする公共圏が見えてくるのではないだろうか。
なぜ参加に興味を持ったのか?
自分も自分の周りの人達もあまり他人のために何か良い事をしようという意識があまりないことを感じた。俺がよければ他人はどうでもよいということを感じている一方で、そうであるべきでないとも感じるのだ。
参加を強制するメカニズムは社会の中にセットインされているのではないだろうか。その事実を認識することがまず、重要ではないだろうか。
4.次回やること
2000年以降の議論として市民社会系公共圏の議論と政策系の公共圏の議論をおさえてみる。その際リサーチのポイント、1.M.A. 2.公共圏の定義 3.アクター 4.社会認識からどんな議論をしているのかをまとめる。
具体的なものとしては「公共圏」を述べる雑誌の特集を立て読みする。(降幡:『法政研究』(74:3 2007),社会思想史研究(28 2004);石綿:『法の科学』(37 2006)『思想』(925 2001))
「Wild Flowersの今年の反省と来年以降の活動をどうするのか」 : Wild Flower 2008年12月12日(金曜日) (Friday 12/12/2008)
12月 12th, 2008「Wild Flowersの今年の反省と来年以降の活動をどうするのか」
4つの班に分かれてブレスト
以下ではそれぞれの班の要約と暫定的結論を記します。
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1班
方法論の話と継続性の話がでた。この場の特殊性として方法論は大切なものとして維持するべきではないか。もうひとつの継続性の話は、共同ゼミで発表を行ったが、それを受けての発表がなかったのではないか。その意味で共同ゼミの発表の継続性が重要性ではないか。
それ以外でも半年に一回ペーパーをウェブに載せるもしくは、紙媒体で論文を出版するという活動も重要になってくるだろう。
また、なぜ勉強をするのかということを議論することも重要だと考えられる。
2班
三点ある。
①団体の存続に関して:段々人がすくなるなかで、存続させるのか、それとも消失させるのかのコンセンサスがないのではないか(自然消滅はマイナスな意味だけではない。今ある人たちのつながりは消えないのである意味でそれを中心に活動するという意味もある)。もし続けるならば、サドリアゼミの延長として続けるという前提を、疑うことも含めて考えなければならないのではないか。
②Wild Flowersのコミットメントについて:コミットメントをする人もいるが、しない人もいる。そのコミットメントの意義を改めて考える必要があるのではないか。
③Wild Flowersの意味:この場の意義は勉強をしてそれにレスポンスがあるという勉強のサポートの要素が重要であろう。そこで方法論を共有することが重要であると思う一方で、その方法論を使って一人一人が何をしたいのかをもっていなければならないのではないか。その事を共有することが重要ではないだろうか。
3班
共同ゼミに関していえば、人が少なくなってきており、それに付随して楽しさが少なくなっているのではと考えられる点もあるが、それでも共同ゼミでの発表の場は必要であると考えられる。その中で、共同ゼミでは発表だけではなく、少ない人数でブレストしたりするなど、人が少ないなりに活性化できるパーソナルな関係づくりのために共同ゼミを使う方法もあるのではないか。
人(の募集など)に関しては、第一に、現在の縁会が年に一回である状況は同窓会になってしまうので、回数を増やしていったらよいのではないか。第二に、WFsの人数が少なくなるのは問題であり、その意味で新しい人達は重要だ。しかし、人を集める際に私たちのイメージが勉強だけになるのは問題であり、その中で、勉強をすることを通した「よさ」のようなものも伝えていく必要があるのではないか。また、第三に、新しくWFsに参加してくれた人が消極的にならない仕組みを共同ゼミで作っていくことが重要ではないか。
4班
四点ある。
①サブゼミの重要性:サブゼミは一年間を通して重要な場であった。WFsの外ではなかなか、自分のことを議論する場がない。そんな中で、共同ゼミの発表に及ばなくても、自分のことを話せるサブゼミは重要であった。しかし、一方でなかなか時間が合わなくてサブゼミができない学年も存在した。そのため来年は、週に何コマかサブゼミの時間を作り、時間が合う人が参加できる形式のサブゼミを作ってもよいのではないか(学年ゼミと学年によらないゼミ)。
②Web:もちろんサブゼミのように対面で顔を合わせなくても議論する、Webの空間は重要であろう。Web Page自体が整っているので積極的に使う必要があるのではないだろうか。
③甘えについて(卒業後の交流の在り方):Webに関してもそうだが、毎回積極的に何かを行おうという結論に議論が向かう一方で、なかなか物事がうまく進まないことが多々ある。その原因は、卒業すれば在学生が、縁会、飲み会、合宿を企画してくれるという甘えがあるからではないだろうか。誰もが何年かすればこの場からいなくなる、そうなった時にこの甘えが毎回の物事を先送りにしているのではないか。その卒業生も積極的に参加する意味でも、縁会を年に一回ではなく、三か月に一回にして「共同ゼミ」と名前を改めるべきであると思う。
④新入生歓迎:新入生歓迎を行うならば、WFsは勉強する場で硬いというイメージを取り払う必要があると思う。その一方で新入生歓迎は、はたして効果があるのかという疑問もある。一日の企画でWFsの一人一人の人間性の大切さを他人に伝えられるか疑問であり、実際、知り合いの紹介で来てくれた人の方が、WFsに残っていてくれているのではないだろうか。
補足:Webの使い方に関して、Webがこれからの活動で重要になってくると考えられるが、Webへのアクセス、openさ、など問題点を考えることもまた重要であるだろう。
結論
1.方法論は大事だが共有されていないのではないかという問題点がある。それを共有するやり方を考えよう。
2.Webで継続議論する。
3.今まで、共通見解をつくることを逃げてきたのは問題ではないか。その意味でこの議論には共 通見解を作る必要があるのではないか?
4.Webで継続するというのは重要であると思うが、個人的に共通見解が無いというときに、対面で議論をもっと深める必要があるだろう。面と向かって突き詰めて話をしたほうが望ましいと思う。
5.共通見解が必要なのであろうか?それをどのレベルで作るのかというを考えた方がよいのではないか。個人がこの場をどう使いたいのかを考える方が重要ではないだろうか。
6.4つこの中から重要なもの考えてみてもよいのではないか。1.共通見解 2.共同ゼミの制度設計3.Web 4.サブゼミ、この枠で別れて深く話してみたらどうだろうか?
7.来週上の4つのカテゴリーで議論を深める!
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12月5日(金)@多摩キャンパス
12月 8th, 20084年生による卒論の発表
「国連におけるDDR(Disarmament, Demobilization and Reintegration)
-シエラレオネを事例に-(仮)」
発表:尾関
*IRは毎月第二金曜PM3:00~@多摩キャンパスで活動しています。
参加希望の方は連絡を頂ければ幸いです。
11月14日@多摩キャンパス
11月 15th, 2008『日本のアジアにおける産業化』
(1)Hatch and Yamamura (1996)の議論のまとめ
1-1、日本によるアジア地域生産ネットワークの構築
1-2、開発主義(developmentalism)
1-3、日本国内における開発主義
1-4、開発主義のアジアへの拡大
1-5、日本の多国籍企業(MNCs)による技術力の保持と技術移転のコントロール
(2)日本型ビジネスモデルの限界
(3)おわりに
発表:金子
*IRは毎月第二金曜PM3:00~@多摩キャンパスで活動しています。
10月10日(金)@多摩キャンパス
11月 3rd, 2008『現実主義と批判理論』-ポスト日米安保へ向けて-
1、序章
2、日本の外交・安全保障
3、日米安保体制と現実主義
4、批判理論
5、総括
発表:古川
尚、今年度は引き続き月一回、
毎月第二金曜PM3:00~@多摩キャンパスでの活動になることが決められた。
参加希望の方は連絡を頂ければ幸いです。